はじめに
最近、整備されてきれいになった「東京駅丸の内側;駅前の広場」と皇居へとつながる「行幸通り」へ行ってきました。
また、別の日ですが、以前皇居周辺を探索した際に気になっていた「皇居東御苑」へも行ってきました。
スマホをお使いの方は、「宮内庁参観音声ガイド- 宮内庁公式アプリ」をダウンロードしていかれると便利かもしれません。(音声データは重くDLに時間がかかりますが。)
東京駅 丸の内側の駅前広場~行幸通り
地方に住んでいた際も、ときおり東京に新幹線を使って出張で訪れていました。
しかし、ほとんどは品川駅で下車したためあまり東京駅やその周辺の印象がありませんでした。たまに、東京駅で下車しても、最近は工事している印象のみ。
東京駅駅舎は
- 1914年に竣工。
- 有名な丸の内口の赤レンガ駅舎は、復元されたのは比較的最近の2012年。
- 行幸通りも再整備されたのは2010年。
2017年末、丸の内駅前広場の完成がニュース等で報じられたのを機に行ってみることに。
↑;工事用の柵が撤去されてきれいに。行幸通りから皇居へ通じる歩道も広くて多くの人がゆとりをもって歩けます。 丸の内口の正面・中央は広い歩道で、車寄せやバス停、駐車場などがなく、広々として雰囲気があります。
↑;丸の内駅前広場から「丸ビル」を眺めると、バルコニー風の場所から東京駅を見ている人々がいます。・・・一般の方でも無料で入れるテラスでした。
↑;東京駅丸の内口から皇居方向へ向かって、行幸通りを挟んで左に「丸ビル」、右には「新丸ビル」があります。「丸ビル」の5Fにはこのようなテラス(デッキ)があって東京駅丸の内口を見下ろすことが出来ます。
↑;丸ビル5Fテラスからの眺め。 ここ数年、工事の柵で囲まれていた東京駅 丸の内広場ですが、工事終了しすっきりきれいです。
丸ビル・新丸ビルに入っているレストランやカフェの一部はこんな感じで東京駅を眺めながら飲食できるところもいくつかあるみたいです。
↑;12月の丸ビル内にはこのようなツリー・デコレーション。
↑;東京駅から皇居に向かって行幸通りを歩きます。 東京駅から皇居まで、世界各国の大使等が馬車を使う場合はこの道を通って皇居へ向かうとか。
↑;こうやって地図で見てみると「東京駅」と「皇居」はかなり近距離だったんだと再認識。
↑;行幸通りの西の端は国道1号線に接しています。さらに奥には外堀です。この日はこれより皇居側は交通規制にてここで撤収。
皇居東御苑へ
さて、日を改めて地下鉄霞が関駅から皇居東御苑へ向かいました。
↑;霞が関というと、四角い省庁のビルを想像していて実際そうなのですが、皇居へ向かう途中、かなり違和感ある建物発見。 それこそ、「赤レンガの東京駅」のテイストに酷似。
↑;正面の門まで来てみると「法務省」の文字が。 ここは「法務省 赤レンガ棟」と呼ばれているそうです。
ここは、法務省の旧本館の建物とのこと。
↑;赤レンガ棟内部には、無料で入場できる「法務史料展示室 メッセージギャラリー」があります。平日 10時~18時。
赤れんが棟は,ドイツ人建築家ベックマンとエンデ両氏の設計にかかるもので,7年余りの歳月を費やして明治28年12月,司法省として竣工されたものです。その後,昭和20年3月,戦災のためれんが壁を残し屋根,床などを焼失したため,昭和23年から同25年にかけて復旧工事を行い,屋根などの形状や材質が一部変更されていましたが,今回の改修工事では明治28年の創建当時の姿に復原され,平成6年12月27日には重要文化財に指定(外観のみ)されました。
法務省HPより
参照;法務省HP
さて、内堀通りを北に歩いて皇居東御苑に向かいます。
↑;内堀通りを進むと、行幸通りの奥に東京駅がみえる場所まで到達。駅から皇居が真っすぐ突き抜けている並木道は気持ちいいです。外国人観光客をお迎えする玄関口としても風格ある歩道。
↑;皇居前広場を抜けて、内堀通りをさらに進むと皇居東御苑への入口の一つである大手門へ到着。休日で皇居周辺はランナーも多数。
↑;大手門とその手前にある案内板。入場無料ですが、月・金が休みなので要注意。
↑;大手門正面。 門の手前では警察官による手荷物の検査をパスする必要があります。
↑;手前の「大手高麗門」をくぐると右に90度直角に曲がって「大手渡櫓門」に至ります。木材に鉄製の枠で頑丈に作られた歴史を感じる門構え。
↑;大手渡櫓門をくぐって左へ向かうと、左手奥に入場券をもらえる窓口があります。
↑;入場券(プラスチック製)を一人一枚手渡されます。これは、退場する際に窓口に返却する必要あり。(料金は要りません。無料)
↑;皇居東御苑はかなり広大です。 宮内庁病院や皇宮警察本部等のエリアは一般人は立ち入り禁止です。(グレーのエリア)
皇居東御苑は平面的にも広い上に立体的です。上のマップに示されるように3階層から成り立っています。
- 「大手門」や「三の丸尚蔵館」、「事務所」、「皇宮警察」、「宮内庁病院」のある「三の丸レベル」
- 一段登った「二の丸レベル」には「雑木林」「新雑木林」「二の丸庭園」「都道府県の木」があって、自然豊かな公園・庭園の趣でした。
- 最上段の「本丸レベル」には「富士見櫓」「富士見多聞櫓」「天守台」といった建造物(跡)等が並びます。開けた芝生広場のような「本丸跡」「本丸御殿跡」もここです。
とりあえず、一番高い位置にある天守台へ向かうことにしました。
↑;大手門から入ってすぐ右手には「三の丸尚蔵館」。
三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類が平成元年6月,国に寄贈されたのを機に,これら美術品を環境の整った施設で大切に保存・管理するとともに,調査・研究を行い,併せて一般にも展示公開することを目的として,平成4年9月に皇居東御苑内に建設され,翌年11月3日に開館しました。
宮内庁HPより
興味深いところですが、この日はパスして先を急ぎます。
↑;二の丸エリアへの上り坂の入口には「同心番所」。 警備詰め所跡です。
↑;石垣が入り組んでいて、江戸城の「要塞」の側面を感じます。「不乗門」跡。
↑;不乗門を超えて一番奥まできてから振り返ると、右側に「百人番所」という長細い木造家屋があります。同じく「警備詰め所」の役割であったとのこと。
伊賀組、甲賀組、根来組、二十五騎組という鉄砲隊が詰めていたと案内板に記載されております。
この「百人番所」の正面には、「本丸」につながる「中之門」があります。重要な門であり、警備が厳重だったということでしょう。
↑;本丸に通じる入口である「中之門」(跡;今は門はありません。)
↑;中之門(跡)の奥にはさらに「大番所」という警備詰め所があります。 この詰め所には、さすが本丸に近いだけあって上級武士が詰めていたと記載されています。
↑;ここから本丸までは、しばらくは上り坂が続きます。S字状に曲がりくねった道です。
↑;中之門から登りきると本丸の南に到着します。突然開けた感じになります。そこから北の天守台方向を見たところです。平坦な広場で芝生公園のように整備されています。
↑;本丸エリアの最南端の見晴らしの良い角にある「富士見櫓」に関する案内板。 かなり景観もよさそうなのですが、残念ながら中には入れません。
↑;富士見櫓の外観。櫓なので軍事的建造物ですが、ちょっとした立派な「お城」の様にも見えます。この辺りまでくると、車の騒音もほとんど聞こえなくなり都心とは思えない静かな環境となります。
↑;南北に長細い本丸エリアの平面図が石碑になっていました。 現在は全く何もない広場のほとんどが建物で埋め尽くされていたようです。
↑;本丸エリアの西端にある櫓の「富士見多聞櫓」。ここは中に入ることが出来ます。多聞とは、石垣の上にある長屋風の櫓をを指すそうです。別名、走り櫓 (やぐら) 、多聞長屋。
↑;富士見多聞内部の様子。 外側に向けてスリットの入った窓が並んでいます。ただし、当時江戸幕府はすでに盤石で攻撃に備える用途としては使われず、倉庫代わりになっていたかもと案内板には書かれていました。
↑;本丸の北西にある「石室」。当時は近くに「大奥」があったそうで、火災時に調度品等を退避させる目的で使っていたのではないかとのこと。
↑;ようやく天守台に到着。本丸エリアのほぼ北の端に位置します。
↑;天守台に関する案内板。1657年に焼失してから以後、天守台は再建されたものの、「天守」は建てられなかったとのこと。
案内板によると、江戸期の最初の50年のみ天守があり、その後210年は天守は無かったそうです。・・・例えば「徳川吉宗」が将軍であった時代には「天守は無かった。」ということ。
知らなかった・・・。(暴れん坊将軍っていう時代劇で、「天守で佇む吉宗」的な絵があったような気がしたのですが・・・。)
↑;天守台から南方向を眺めます。左奥には丸の内の高層ビル群。「東京らしい」風景を堪能。
↑;天守台の頂上。・・・中央にベンチが少し。周囲はフェンスで囲まれています。若干殺風景ですが、見晴らしは良好。
↑;天守台の上から北を眺めるとすぐ下には、「北桔橋門」がみえます。奥には「日本武道館」の屋根も。
↑;本丸の散策は終了。北の「梅林坂」を通って二の丸へ下っていきます。
↑;梅林坂の梅は「12月から2月」がシーズンとのことでしたが、少し早くて「チラホラ」といったところ。梅の名所。
↑;二の丸の北のエリアには「都道府県の木」が植樹されている場所があります。写真の左側がそのエリア。昭和43年からあるようですが、2017年に再整備されてきれいになっていました。北海道;エゾ松、山形県;サクランボ・・・等など。 道を挟んで右側は「雑木林」エリア。いわゆる「里山」の雰囲気があります。冬場なので葉が落ちてしまっています。新緑の時期が良さそうです。
↑;同じく二の丸エリアにある「諏訪の茶屋」。明治のころに吹上御所に建てられたものが、昭和に移築されたとか。 和を感じる木造建築。
↑;二の丸庭園の様子。 池、灯篭、滝といった「日本庭園」の基本を押さえたシンプルですが心落ち着くお庭。 明治時代までは焼失・荒廃していたとのことですが、昭和39年に当時の図面から復元されたとのこと。
↑;冬枯れの二の丸池。冬を感じる風情ある眺め。この池には日本の「ニシキゴイ」とインドネシアの「ヒレナガゴイ」の交配種「ヒレナガニシキゴイ」が泳いでいます。(今上陛下の御提案と記載されていました。)
この付近には飲料自動販売機があって寒さをしのげる「二の丸休憩所」があります。(苑内は飲酒は禁止ですが、飲食はOK.ということか。)
↑;二の丸の白鳥濠に沿って広く真っすぐな大通りがあります。両側には松の木。北の平川門へ向かいました。
↑;平川門から東御苑を出ました。外から見た平川門の様子です。平川門をでると近くには地下鉄竹橋駅 があります。そこから帰途につきました。
参照;宮内庁HP
「東御苑」は基本的にいつも一般公開されていますが、「皇居」の一般参観も定員制で一日2回実施されてるとのことです。当日でも空きがあれば参観可能とのこと。ただし、免許証やパスポートなど身分証明書が必要です。ネットでの予約が可能になっていました。
皇居東御苑 公開案内 公式サイトから抜粋して引用
1 .皇居東御苑は,次に掲げる日を除き公開しています。入園は無料です。
(1)月曜日・金曜日
ただし,天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開します。なお,月曜日が休日で公開する場合には,火曜日を休園します。
(2)12月28日から翌年1月3日まで
(3)行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日2 .公開時間は,次のとおりです。
期間 公開時間
3月1日~4月14日 午前9時~午後4時30分(入園は午後4時まで)
4月15日~8月末日 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
9月1日~10月末日 午前9時~午後4時30分(入園は午後4時まで)
11月1日~2月末日 午前9時~午後4時(入園は午後3時30分まで)3 .出入りは,大手門・平川門・北桔橋門です。(入園の際,各窓口で入園票を受け取り,退園の際はお返しください。)なお,各門とも駐車場はありません。
まとめ
東京駅の丸の内口の広場から行幸通まで、加えて、皇居東御苑の散策に行ってきました。
今回得た知識や感じたことは
- 東京駅丸の内口と皇居は、広くて整備された「行幸通」でつながっていて結構近い。
- 再開発が進み幼少の頃(昭和時代)の記憶とは全く違う東京駅になっていた。
- 皇居東御苑(皇居の東のお庭)= 江戸城の本丸・二の丸・三の丸だったところ。
- 江戸城の天守は江戸幕府の初期50年間しか存在しなかった。
- 6言語対応の宮内庁公式アプリが意外と便利。(Android、iOS)音声ガイドの音声データは結構重いのでDLに時間かかります。
東京や関東近郊に住まわれている方にとっては、メジャーな観光スポットでわざわざ訪れることもないのかもしれませんが、日本人ならぜひ行っておくべき場所だと強く感じました。
もっと早く来ておくべきだったなと後悔です。子供達を連れて再度訪問します。